Croatia(クロアチア)
2009年08月22日
夜のドブロクニク、そしてフェリーでイタリア、バーリ(Bari)へ
モンテネグロからドブロクニクに戻ってきました!
夕方のドブロクニクの様子です。
路地裏にはたくさんのレストランがあります。どこもシーフード名物で美味しそう〜。
魚介グリルの盛り合わせ(左)とスープを注文しました。でもこの魚介のグリルそれほどは美味しくなかったなあ、残念。
路地裏から空を見ると住民の洗濯物がたくさん!やっぱり旧市街でもたくさんの人が住んでいるんですね。なんか感動です。
夜の旧市街の様子です。
ライトアップで雰囲気抜群!素晴らしいですよ!
夜10時ごろ、フェリー乗り場にやってきました。車も一緒にフェリーに乗り、夜行便でイタリア、プーリア州のバーリ(Bari)に向かいます。
約8時間、次の日の朝、イタリアの「かかと」、プーリア州の州都、バーリ(Bari)に到着しました。
これからしばらくはプーリア観光です。
ですが・・・・・時間がないのでプーリアの各町の紹介はまたしばらく後、秋以降にじっくりと書きたいと思います。ちょっと忙しくて。。。。。お楽しみに!
2009年08月17日
ドブロクニクから南のビーチ、Cavtat(ツァヴァト)
今日はドブロクニク近郊のお勧めビーチを紹介します。
左の地図のように、ドブロクニクからさらに南東に行ったところにある、Cavtat(ツァヴァト)というビーチです。
このあたりはドライブしていると、たくさんのビーチを見かけます。お、ここは綺麗でよさそうだなと思ったところに立ち寄って泳いでみるとよいでしょう!私もこのあたりで何か所か泳ぎました。
そのなかでもここCavtat(ツァヴァト)はよかったです。
抜群に綺麗な海ですが、人はあまりいません。この辺は岩場だからかなあ。でもここでも泳いでいる人はいました。
Cavtat(ツァヴァト)には砂浜が少ないので、狭い砂浜にはこのように人が多く来ています。でもCavtat(ツァヴァト)全体だとかなり人は少ないですね。
岩場でもすぐ奥は森、公園になっているので、そこに荷物を置いたり、バスタオルを敷いている人もいました。私もそうしました。海の間近じゃないですが全く問題ありません。10歩くらい歩けばすぐ海ですから。
というわけでデジカメにウォータープルーフを付けて泳いでみました。魚も結構いるし、ウニもいます。かなり綺麗です!!
素晴らしいCavtat(ツァヴァト)のビーチ!ドブロクニクに立ち寄り、時間がある方は是非行ってみてください。
2009年08月14日
2009年08月12日
ドブロクニクの城壁
今日はドブロクニクの旧市街を取り囲む城壁について紹介します。
左の写真はドブロクニクの旧市街の地図です。
この旧市街をグルっと取り囲む城壁は全長1940m、高さは最高で25mに達します。
ドブロクニクが城壁に囲まれるようになったのは8世紀から。1667年の大地震の時街は大破しましたがこの強固な城壁だけはほとんど被害がなかったそうです。
ドブロクニク旧市街の東、レヴェリン要塞の入口から城壁の上に登りました。その他にもピレ門の脇、聖イヴァン要塞にも入口があります。
オーディオガイダンスがありますが(写真右)、残念ながら日本語はありません。
城壁の上にやってきました!ここからぐるっと時計回りに回りました。
城壁の内側を見ると旧市街の街並みが見えます。素晴らしい景色、綺麗ですね。
城壁の外側、北側を見るとスルジ山があります。その頂上にはナポレオンが贈ったという白い十字架が立っています。
城壁の階段をよくみると、所々穴が見えます。
これはユーゴスラビア当時の内戦の銃弾跡です。
今でも傷跡が残っています。
北西にあるミンチェタ要塞です。
堅固な要塞ですね。ここを上るとさらに素晴らしい景色が!
ミンチェタ要塞から南下していきました。下を見るとオノフリオの大噴水(写真右)が見えます。
さらにプラツァ通りが見えます。ドブロクニク旧市街のメインストリート!綺麗ですね。
海側にやってきました。抜群に綺麗な海!最高の眺めですね。
ドブロクニク旧市街の綺麗なオレンジの屋根はこんな感じです。間近で見ると意外と普通の屋根、瓦ですね。
さらにドンドンと歩いていきます。
城壁一周、結構時間かかります。
最後の方に大量の落書きが!ひどい、ひどすぎです。世界遺産ドブロクニクの城壁に大量の落書き、悲しいです。
というわけで城壁一周しました!1周約1時間、素晴らしい景色で最高でしたよ!
みなさんもドブロクニクに行った際には是非城壁一周してみてください!
2009年08月11日
アドリア海の真珠、ドブロヴニク(Dubrovnik)、その2
去年の12月から中断していたクロアチア旅行の続きです。
詳細はこちらをご覧ください。
アドリア海の真珠、ドブロヴニク(Dubrovnik)、その1
http://blog.livedoor.jp/shiroyuki11/archives/51265390.html
こちらは東側のプロチェ門です。
ドブロクニク旧市街には3つの門があり、西のピレ門(Gradska vrata Pile)、北のブジャ門(vrata od Buza)、東のプロチェ門(varata od Ploca)、です。
中世のころは日没になると門の前に設けられた跳ね橋が上がり門扉は閉じられ厳重に鎖が巻きつけられました。そして鍵は総督に手渡され夜が明けるまで誰も中に入ることはできなかったそうです。
ドブロクニクは10世紀の頃、スラヴ人の攻撃から逃げ込んだローマ人たちが作った街、国で、当時はラグーサ共和国という名前でした。
ドブロクニクの名は、スラヴ語で森を表す「ドラヴォ」、または「ドゥブラヴァ」からとっているそうです。
砲台から外の方を眺めると、綺麗な海が!透明度抜群の綺麗な海が見えます。
ドブロクニクの城壁内、旧市街を歩きましょう!
左の地図はなんだか分かりますか?
これは10年ほど前にユーゴスラビアの内戦があった時に砲撃をうけた位置を示す地図です。旧市街内部には地図の位置に砲弾の跡が残っています。戦争の傷跡です。。。。
城壁内は雰囲気抜群!最高です。歩いているだけで楽しい気分になります。いいねえ、ドブロクニク!
おお、これはスピードボードです!すげー。高速で波を跳ねながらかっ飛ばします。興味のある方へ是非。
さて、雰囲気の良いレストランで夕食です。
海も見えて最高です!
イカスミリゾットとエビの蒸し煮かな。なかなか美味しかったです。
かわいい白い猫が餌をもらいにやってきました。
もちろんエビの頭を挙げましたよ!!美味しそうに食べてました。かわいい
夜のドブロクニクです。ライトアップして綺麗ですね!観光客もたくさん集まってきて盛り上がってきましたよ!
夏のドブロクニクは最高ですよ!
2008年12月01日
アドリア海の真珠、ドブロヴニク(Dubrovnik)、その1
さあいよいよ、クロアチア観光のハイライト、ドブロヴニク(Dubrovnik)ですよ!
ドブロクニクはクロアチア共和国の最南端にある街で、クロアチア最大の名所です!クロアチアに行くからには必ずドブロクニクに行くべきです!
アドリア海の真珠と呼ばれるドブロヴニク!昔、チャールズ皇太子とダイアナ元皇太子妃が新婚旅行で来た所です。
隣町Mlini(ムリニ)に車をおき、バスでドブロクニク旧市街に行きました。
レトロなバス、趣があります。
バスの中から見たドブロヴニクです。日の光が反射してきらめいています。感動的です。
ここはまだドブロヴニク旧市街の外側。バス停から旧市街まで丘を下ります。シロで統一された家の合間をぬって下りていきます。
旧市街への入り口、ピレ門です。ドブロヴニク旧市街は頑強な城壁で守られています。
1667年の大地震で崩壊した時も城壁だけはほとんど無傷だったそうです。
西側のピレ門(Gradska vrata Pile)をくぐり、ドブロヴニク(Dubrovnik)旧市街の中に入ってみましょう。
ここがメインのプラツァ(Placa)通り。ピレ門から中心部ルジャ広場(Luza trg)まで200mほど続きます。昔は水路だったらしく、ここから北はスラヴ人、南はローマ人達が住んでいたそうですよ。
プラツァ通りは朝から夜中まですごい人だかり!両脇にはみやげ物屋やカフェなどが並びます。
プラツァ通りは石が敷き詰められていて、ツルツルのピカピカです。裸足で歩くととても気持ちよかった。
プラツァ通りから曲がって路地に入るとこんな感じ。生活感が出てます。そしてこの狭い路地にもレストランや店がたくさん!雰囲気があって素晴らしいです。
ピレ門をくぐってプラツァ通りに入ってすぐ右側には1438年に造られたオノフリオの大噴水(Velika Onofrijeva fontana)があります。ここで美味しい天然水を飲むことができます!
大きなドームがついたこの噴水は回りに16個のレリーフで飾られています。
中世のころ、川がないドブロクニクでは水の確保が深刻な問題となっていました。海水をろ過したり、水源から船で水を持ってきたりもしたそうです。水はそれでも足りなかったので、600年近く前、ナポリの建築士オノフリオ・デッラ・カーヴァに依頼して上下水道を造りました。水は10キロ以上も離れたスルジ山の水源から町まで送られ、この噴水がその水道の最終地点となったわけです。当時からこの噴水は市民誰もが無料で利用でき、市民たちの誇りでした。今でもドブロクニクの重要な水源です。
さて、再びプラツァ通りを歩いてみましょう。すぐ左にはフランシスコ会修道院(Franjevacki samostan)があります。元々は14世紀に建てられ、1667年の大地震後にここに再建されました。入り口の扉の上にはピエタの像があります。
プラツァ通りの突き当たりにやってきました。ここはルジャ広場(Luza trg)で、周りにはスポンザ宮殿、聖ヴラホ教会、市庁舎に囲まれて豪華です!ここで休憩しながらゆっくりと眺めるとよいでしょう。とても素晴らしい広場です。
ルジャ広場の中心にあるのがこのローラント像です。この像は1418年に作製されました、今から600年前!まだ残っているなんてすごいです!
このローラント像が剣を持っている右腕に注目!彼の手のひらから肘までは「ドブロクニクの肘」と呼ばれていて51.2cmあり、当時の商売取引の基準として使われていました。例えば織物などをこの肘にあてて長さを計って確かめたりしたそうです。
写真左は聖ヴラホ教会。聖ヴラホはドブロクニクの守護聖人です。教会の上には聖ヴラホの像があります。さらに教会内部、主祭壇には銀製の聖ヴラホの像があります。
スポンザ宮殿には時計塔があり、アナログと5分毎に変わるデジタルの時計が有ります。
ルジャ広場を右に曲がると突き当りには大聖堂(katedrale Uznesenja Marijna)が見えます。元々は1192年にイギリスのリチャード王が創建したものですが、17世紀にバロック様式で再建されています。
大聖堂の内部にはイタリアの巨匠ティツィアーノが15世紀に描いた「聖母被昇天」があります。ティツィアーノといえば、ヴェネチアの大宮殿やアカデミア美術館にたくさんの絵がありますね。
大聖堂の前も広場になっていて、オープンカフェがありました。良い雰囲気です。
さらに奥に進み階段を上ると、聖イグナチオ教会があります。
聖イグナチオ教会は1699年〜1725年にローマの聖イグナチオ教会をモデルにバロック様式で建てられました。
天井にはフレスコ画が一面に描かれています。きれいです。
今日はドブロクニク旧市街の内部をざっと紹介しました!ドブロクニクの紹介はまだまだ続きます!
2008年11月19日
クロアチアのビール
クロアチアにはブドウ畑が結構あって、ワインもあるのですが、あまり美味しくなかったです。。。。
やっぱり夏はビールだよね!ということでクロアチアでは主にビールを飲んでいました。クロアチア語でビールのことをPIVO(ピーボ)といいます。
クロアチアのビールは結構おいしかったです。ちゃんとクロアチアのナショナルカラーの赤白チェックも入っていますね。
以前も書きましたが、クロアチアは外国からの呼び名で正式な国名はRepublika Hrvatska(リパブリカ・フルヴァツカ)と言います。
ちゃんとビールの缶にもHrvatskaと書いてありますね。
スーパーでビールを買おうと見ていると、なんとペットボトルのビールが沢山ありました!
最近日本でもペットボトルのビールを販売しようとしているみたいですね。飲み残しても後から飲めるのでもったいなくない!ということだそうですよ。
でもはっきり言って、ビールは一気に飲まないと美味しくないです。半分飲んでペットボトルの蓋を閉めて後から飲むビールの味を想像すると。。。。まずそう。。。。後から飲むと生ぬるいし、冷やしても炭酸が抜けているし、どっちにしてもダメでしょう。
ビールは開けたら一気に飲む!そしたらもったいなくないっす!!
以上!!
2008年11月15日
ドブロクニクの隣町Mlini(ムリニ)近くの海
今日11月15日は坂本竜馬の命日ですね。再来年の竜馬伝の主役の竜馬は福山雅治がやるそうですよ。渋い声の竜馬たのしみです。
今日はドブロクニクの隣町Mlini(ムリニ)から少し南下したところで見つけたビーチを紹介します。車で走っていると、下のほうに綺麗な海を見つけました。
おお、かなり綺麗なビーチです。とりあえず車で下りてみることにしました。
観光客がほとんどいなくて綺麗ですね。40代のお父さんが素っ裸で泳いでいました。お母さんは上だけ裸、娘さんは普通の水着です。親子それぞれ違ったスタイルで面白かったです。
自然がそのまま残っているビーチ!綺麗でよかったです。ここでももちろんおにぎりを食べましたよ!
今日は簡単ですがこんなところで!
2008年11月14日
ドブロクニクで交通違反・・・
念願のドブロクニクに到着!
右車線から左側の駐車場に入り、写真をとりました。
アップにするとこんな感じ。
ドブロクニクの絵葉書や本の表紙にはほぼ必ずこのアングルからの写真が載っています。
14世紀〜15世紀から変わらない景色です。
世界遺産のマークがあります!ようやくドブロクニクに入りました!
すると、警察のバイクが私の前に来ました。「左折しながらここに入ったらダメだぞ!」と言われ、違反金70ユーロを支払うように言われました。手もちがないので説明すると、私の免許書を取り上げました。。。。そして街中に出て両替してまた戻り支払いました。
その後、何十台と同様に車が入ってきて、その都度違反をとられていました。違反の理由がよくわかりません!!!センターラインをまたがって曲がって入ってはいけないのだそうですが、みんなそんなルール知らないのでガンガン車が入ってきます。いきなりがっかりの出来事で落ち込みました。気を取り直してドブロクニク観光しますよ!!
2008年11月13日
クロアチア海岸線にあるボスニア・ヘルツェコヴィナ領、ネウム(Neum)
クロアチアを南下していると途中少しだけボスニア・ヘルツェコヴィナ領に入ります。これ地図でみるとかなり不自然です。内陸のボスニア・ヘルツェコヴィナは海が無いかと思いきやほんの少し、クロアチアに割り込むように9kmだけ海岸線があるのです。ネウム(Neum)という街でアドリア海に面したボスニア・ヘルツェコヴィナ領です。
ではなぜダルマチアの海岸線にボスニア・ヘルツェコヴィナ領があるのでしょうか?その歴史は17世紀までさかのぼります。オスマントルコが占領していた半バリー中部とクロアチア内部の領土をハプスブルク帝国が1699年に奪い返し、条約が結ばれました。その条約でネウムはドブロクニク領となったのですが、なんとドブロクニクは実際にはトルコからこのネウムをもらいませんでした。当時、このネウムから北一帯はベネチア共和国の領土でベネチアとドブロクニクは敵対していました。そこでドブロクニクはネウムをオスマントルコ領のままにして、ネウムを防御壁にしたわけです。ドブロクニク共和国は商業の国で当時から先進的で非常に賢い政治を行っており、小さい国ながらも、オスマントルコ、ベネチアから唯一独立を保った国です。いやあ、あえて領土をもらわず壁にするとはかなり賢いですね。
実際走ってみると、いきなりボスニア・ヘルツェコヴィナ領に入ります。
ここがネウムの街です。特にクロアチアと代わり映えしませんが、通貨は変わります。
海の方を見ると、島も見えるしとても綺麗です。右は隣町のストン(Ston)。牡蠣の養殖をしています。
ネウムの街はすぐ終わり、クロアチア入国の国境検問所がでてきました。そこでパスポートを見せてすぐまたクロアチア領です。
さらに南下していくと、クロアチア最大の観光地ドブロクニクです!!!
いよいよクロアチア旅行記のクライマックス、ドブロクニクです。お楽しみに!
2008年11月12日
フヴァール島からドブロクニクの隣町Mlini(ムリニ)へ
フヴァール島は東西に60kmほどある長い島です。最も西にあるHvar(フヴァール)という街で過ごし、車で一番東まで夜通しで走りました。
これからフェリーでクロアチア本土に渡り、それからクロアチア最南端のドブロクニクまで一気に走りました。
フヴァール島の最東端で数時間仮眠し、朝5時のフェリーに乗ってクロアチア本土に渡りました。日が昇ってきました
車で数時間南に走ると、クロアチア最南端のドブロクニクに到着です!
丘の上からドブロクニクの旧市街が見えます。きれいですね。
ドブロクニクを過ぎて隣町のMlini(ムリニ)に来ました。今回はこのMliniのホテルに泊まります。ここは民宿のようなホテル、SOBE(ソベ)で、1泊20ユーロと格安です。
ホテルの前から坂を降りるとビーチに出ることができます。
船でフルーツを売りに来ていました。アイスよりも健康的でいいですね。
かなり綺麗な海で魚もたくさん!
明日からドブロクニクで泳ぐぞ!
2008年11月02日
HvarのレストランLucullus(ルクルス)
今日はフヴァールで訪れたレストランを紹介します。
Lucullus(ルクルス)
Petra Hektorovica bb, 21450
Tel: (0)21-742498
定休日:12月〜3月
ここは「アドリア海にあるベスト30レストラン」に毎年選ばれるということで、是非行ってみたかったお店です。
100kgはゆうにありそうなフランス人シェフのアンテさんが、陽気にお出迎えしてくれました。
この日は開店の19時に行ったので、予約なしでオープンテラスの席に座ることができました。石造りの塀に囲まれた中庭でのお食事は雰囲気満点。
これは前菜の前にサービスで出してくれたブルスケッタ。ツナとマヨネーズの合えたものが添えられてあります。
写真左は前菜の魚介のサラダ。エビ、ムール貝、サーモン、マグロがルッコラと一緒に盛り付けられています。右はクロアチア名物の魚のスープ。もう何度も注文していますが、他のお店と比べてみたくて今日もオーダー。ここのはムール貝や白身魚のすり身のスープに、おコメが入っていて雑炊風でした。やさしいお味
イタリアを離れてしばらくパスタを食べていなかったので、今日は無性にパスタが食べたくなりチョイス!・・・ところが、フランス人シェフのお店でパスタは間違いでした。んー、悪くはないのですが、パスタのゆで加減といい、ソースの味の曖昧な感じといい、いまひとつでした。やはりパスタはイタリアで食べるのが一番!ですね
ちなみに左はサーモンとエビのクリームソース、右は魚介のトマトソースです。
ここのレストランは、3ツ星ホテルも経営しているようでした。お腹がいっぱいになったので、少し散歩して帰ることに。
フヴァールの街は細い小道で迷路のようになっていて、建物はすべて石造りなので独特の雰囲気をかもし出しています。レストランがあちこちにあり、外にテーブルを出して、その雰囲気を味わいながらみんなお食事をしています。もう遅い時間だというのに、街中は大勢の観光客でいっぱいです
ハーバーの近くにはたくさんの出店が立ち並んでいました。こちらはフヴァール島名物のラベンダの出店。ラヴェンダが新鮮なせいか、強い香りを放っていました。
ちなみに、お店の人によると、ラヴェンダはクローゼットに置くと防虫効果があり、また頭痛の沈静効果、安眠効果などがあるそうです。見た目もかわいいので、お土産にもぴったりですね。
ハーバーにはたくさんのクルーザーが停泊していました。中には、豪華クルーザーの中で食事をしたり、お酒を飲んだりしている人たちもいました。こうして近隣諸国から、たくさんのお金持ちの人たちが集ってくるのですね。
フヴァール島は、クロアチアの中でもヴァカンスのムードが満点でした。夏にクロアチアを訪れる方には是非、おススメの島です
2008年11月01日
フヴァール(Hvar)島からパクレニ諸島へ
昨日紹介したフヴァール島の小さな港から、さらに小さな島々に行くことができます。
パクレニ諸島といって、フヴァール島の南西に点在する島々で、イェロリム(Jelolim)、スティパンスカ(Stipanska)、パルミジャーナ(Palmizana)、ヴラカ(Vlaka)などです。
このように分かりやすい看板が出ていて、それぞれの船の行き先が違います。
お勧めと言われたパルミジャーナ(Palmizana)島に行くことにしました。
20人乗りくらいの小さなボートで30分くらいすると着きました。船着場のところでさえ、メチャクチャきれいな海水です。
島の反対側が海水浴場になっているということで歩いていってみました。徒歩15分くらいですぐ裏側に出ることができます。
途中でサボテン発見!ひどい!!サボテンにナイフで傷をつけて落書きをしています。ほんとにひどいですね。
裏側のビーチに着きました!かなり広い、そしてメチャクチャきれいな海です。
この日は珍しく半日のんびりと過ごしました。もちろんガンガン泳ぎましたよ!
フヴァールのホテルで持参した炊飯ジャーを使って米を炊きました。そしておにぎりをつくりましたよ!
パルミジャーナ(Palmizana)島のきれいな海を見ながら食べたおにぎり!最高でした。
海水浴後にはラーメンが食べたくなりましたが、さすがにそれは無理でした。。。。
夜はまたフヴァール島で美味しいレストランに行きました。明日報告します!
2008年10月31日
ラベンダーで有名なNo1リゾート、フヴァール島(Hvar)
クロアチア最大の港町スプリット(Split)から車ごとフェリーに乗り込み約1時間半、アドリア海で一番長い島、フヴァール島に到着しました。
ここフヴァール島はオリーヴ、ぶどう畑、新鮮なシーフード、そしてラベンダーで有名な島で、ヨーロッパ中から観光客が押し寄せるクロアチア人気No1のリゾート島です。
港から車で20分ほど西に走ると、島と同じ名前のフヴァールという最大の街につきます。
今回は車も進入禁止の町の中心にホテルをとりました。
町の紹介の前に、まずはついてすぐに近くのビーチに泳ぎにいきました。
観光案内所でオススメのビーチを聞いたのですが、それらしきものがなく一度通り過ぎました。だって崖だったので。。。。
車を置いて下まで下りていきました。
写真だと分かりづらいですがかなりの悪路。下まで下りるのに時間がかかりました。
ようやく着くと、きれいなビーチがありました。小さいですがメチャクチャきれいな海です。
宮崎駿の映画「紅の豚」はアドリア海、クロアチア辺りを舞台にしているそうです。
そういえば映画の中で、このようなビーチから飛行機が飛び立つシーンがあったような気がします。きっと映画ではこのようなビーチを想像して使われたのでしょう。
早速デジカメをウォータープルーフにセットして泳いでみました。
結構魚がいましたよ!
これはフヴァールの町の中心、聖ステパノ大聖堂です。16世紀から17世紀に建てられた後期ルネッサンス様式です。
中は白を基調としたシンプルなつくり。奥にはバロック様式の祭壇があります。
聖ステパノ教会の前は縦長の広場になっています。市民、そして観光客はここに集い、朝から夜中まで大賑わいです。
この広場はすぐ港に面しています。堤防から街を見るとヴェネチア風の赤屋根の家、白い町並みが非常にきれいです。
広場から細い脇道に入ると、ホテルやレストラン、みやげ物やがたくさんあります。白い花の木がきれいですね。そしてこの島の名物のレース編みの品々が売られていました。このおばあちゃんは名物おばちゃんで、日本の雑誌にも載っていましたよ。
広場に面したパレスホテル(Hotel the palace)です。フヴァル島最古のホテル。洗練されたつくりで夏季は数ヶ月前から満室だそうです。1階にあるカフェも高級感がありました。
これは広場が海に面したところの脇にあるアルセナル(Arsenal)です。ここは400年ほど前に建てられた船の修理工場。おもしろいのは中に劇場があることです。
ヨーロッパでも最古の劇場のひとつと言われています。
街の中心から少し離れた所にあるフランシスコ会修道院です。15世紀に建てられた教会で、隣接する美術館には絵画がたくさんあり、中でもマッテオ・インゴーリの最後の晩餐は必見なのだそうです。しかし閉館時間がきてしまい中には入れませんでした、残念。
聖ステパノ教会の前の広場に戻ってきました。ここで夕食です。
新鮮な魚介類をいろいろと頼みました。どれも美味しかったですが、左下のタコのマリネは最悪。。。。新鮮なタコではなく、完全に瓶詰めの酢漬けのタコでした。アドリア海のフヴァール島で瓶詰めのタコが出てくるなんてがっかりです
広場からちょっと脇に入った、かなりにぎわっている通りのホテルに泊まりました。朝方まで広場の騒ぎが聞こえてきてかなりうるさかったですが、立地は最高でした。
ホテルのまん前にもオープンテラスのレストランがあって、こっちにすればよかったなあ。。。。
21時過ぎにようやく日が沈み、再び広場に来ました。
昼間よりも人が増えていて大賑わいです。ライトアップもきれいです。
アドリア海に浮かぶ大きな島、フヴァール島!海もきれいでいいところです。次の日はこの小さな港から更に小さなパクレニ諸島に船で行きました。お楽しみに。
2008年10月30日
クロアチア世界遺産(5/6)、Split(スプリット)の史跡群とディオクレティアヌス宮殿
またクロアチア旅行記に戻りますよ!
改めてクロアチアの地図を見てみましょう。
北の方は内陸に食い込んでいますが、南に行くほど細くなります。約1000の島があり、アドリア海に面した街が多く、そのためローマ帝国にも深く関わってきました。クロアチア世界遺産全6個のうち5つが海岸の街というのもそういう歴史に関係しているからだと思います。
先週紹介したシベニク(Sibenik)、トロギール(Trogir)と少しずつ南下してきて、今日はスプリット(Split)というアドリア海最大の港町を紹介します。
スプリットはローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿そのものが旧市街になったという珍しい起源をもつ街です。その特殊な成り立ちと町並みにより世界遺産に登録されています。
そもそもスプリットに人が住み着くようになったのはローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙してこの地に来た7世紀のことです。近郊のサロナという街から追われた人々が頑強な城壁に囲まれている宮殿内に避難してきたことが発端でした。
人々は宮殿の基礎部分はそのままに、その上から建物を増築して街を築いていったため古代と中世の建物が交じり合う独特な町並みが出来上がりました。
ここがディオクレティアヌス宮殿の城壁の外です。すぐ後ろは海、港になっています。
城壁内部が宮殿跡で、宮殿は200m四方の城壁によって囲まれています。
分かりづらいですが、城壁、建物の一部に抜け道があって中に入ります。
中に入るとびっくり!宮殿の地下(Podrumi)になっています。今はみやげ物屋だらけですが雰囲気は当時のままで神秘的です。
宮殿は地下と地上階で同じつくりになっていて、地下は巨大な空間となっています。入り口から15knの入場料で中を歩きながら見学することもできます。私は今回地下の遺跡見学はしませんでしたがディオクレティアヌス帝の胸像や中世に使われた圧搾機などがあるそうです。またここでは音響効果と幻想的な雰囲気を活かして音楽の演奏会などが開かれることがあるそうですよ!
階段を上がると当時の宮殿内部、今では旧市街となります。
階段を上がったところです。ここは前庭。目の前に見えるのは大聖堂です。
ローマ時代のころの衣装を着た人たちがいました。チップをあげると一緒に写真を撮ってくれます。
大聖堂の横にあるのは中世に建てられたロマネスク様式の鐘楼。登ることも可能です。
大聖堂に入る前にまずは回りを歩いてみました。床も周りの建物の遺跡も当時のまま。2千年近くも前の遺跡がちゃんと残っていて感動ものです。
横から見た大聖堂と鐘楼、歴史を感じます。
ここディオクレティアヌス宮殿はディオクレティアヌス帝が引退した後、隠居後から死ぬまで10年間住んだ宮殿です。
ディオクレティアヌス帝はローマ皇帝の中では初めて自らの意思で引退した皇帝で、その引き際の良さこそがこの皇帝が行った最大の政治改革だった、と言われているそうです。
59歳の時ディオクレティアヌス帝は突然引退を宣言し、305年にトルコのニコメディアという町で引退式を行っています。玉座に立ち、辞意を表明するスピーチをした後に皇帝は紫色の衣を脱ぎ、群集が見守る中姿を消してここスプリットに移り住んだそうです。まるで引退コンサートでマイクを置いた百恵ちゃんのようです(U30の方はお父さん、お母さんに聞いてみて)。
遺跡の壊れかけた門のところにのら猫を見つけました。やせているのでちゃんとエサを食べているか心配です。この後ここにゴロンと寝てしまいました
東側から外に出てみると、市場が出ていました。たくさんの観光客であふれています。
では大聖堂に戻って中を見学しましょう。
これが大聖堂内部です。元々この大聖堂は、ディオクレティアヌス帝自身の霊廟として建てられました。後にはキリスト教の教会として利用されてきました。内部に入ると8本のコリント式の柱が円形に並べられ、その柱の上には更に小さな8本の柱があります。
ディオクレティアヌス帝はキリスト教を弾圧した最後のローマ皇帝だったのでキリスト教徒には大変評判が悪いそうです。彼が引退する直前に大規模なキリスト教迫害を行いました。皮肉なことに彼が引退した8年後の313年にはミラノ勅令で当時のローマ皇帝はキリスト教を公認します。多数派になったキリスト教を取り込んだほうが得と判断したためです。
キリスト教を迫害したディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたものが数世紀後にキリスト教の大聖堂になったというのは皮肉ですね。当時あったディオクレティアヌス帝の墓も荒らされてなくなってしまっています。
これはシベニクの聖ヤコブ大聖堂の建築家ユライ・ダルマティナツが制作した聖スタシュの祭壇です。
他にも内部は貴重な宗教美術品で埋め尽くされています。
夕方のスプリットの港です。オープンカフェではみんなお酒を飲んでたのしそうでした。
車で丘の上まで登ってみました。遠くに見えるのがスプリットの市街です。非常にきれいな夕日でした。
夜戻ってくるとライトアップされていました。幻想的ですね。
ホテルに戻り、次の日の朝、旧市街に隣接する港に来ました。
これがこの日に車ごと乗ったフェリーです。これからスプリットから車で2時間の島、フヴァール(Hvar)に向かいます。フヴァールはアドリア海に浮かぶ比較的大きな島で全長は60kmくらいもあります。
船が出ました。スプリットの旧市街、鐘楼が見えます。
明日はクロアチア観光でも人気の高いフヴァール島について紹介します!お楽しみに!!