Tunisia(チュニジア)
2011年01月21日
チュニジア(Tunisia)で足止めの日本人観光客、関空に到着
いやあ、チュニジアの騒動、びっくりでした。日本人のみなさん、無事帰国できてよかったですね。
やっと帰れた チュニジアで足止めの日本人観光客、関空に到着
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110119-00000604-san-soci
私は5年前の2006年4月、イースター休暇の時にチュニジアに行ったことがあります。アフリカの中では裕福で、フランスの香りのするいい国でした。ちょっとだけ紹介します。
チュニジアといえば何でしょう?日韓Wカップでは日本VSチュニジアで日本が勝ちましたね。チュニジア南西のサハラ砂漠では、スターウォーズを始めハリウッド映画撮影の舞台になっています。
さあでは写真を見てみましょう!このときは5日間、All Inclusiveなのでホテルはずっと一緒、1日三食全てホテルで出されます。でも毎日ビュッフェなので2日目で飽きましたが。。。
チュニジア東海岸のMAMMAMET(ハマメット)という街です。4月後半、初めてのアフリカで、メチャクチャ暑いだろう、泳げるだろうと思っていたのですが意外と寒かった。。。。
ビーチは寒そうですがラクダがのんびりと休んでました。ホテルのビュッフェにも飽きたので街中でクスクスなどを食べました、うまい!
首都チュニスにやってきました。イスラム教の寺院、モスクもあります。モスク内部は異教徒は入ってはいけないので入り口までです。
チュニスのメディナ(世界遺産1979年登録)にやってきました!メディナは城壁に囲まれており、中にはいろいろな店が出ております。混沌としてますがそれがまたいい味だしてます。
右上の写真は「オリーブのモスク」と呼ばれるグランド・モスクです。
首都チュニスの中心から西に5kmほど行ったところにある、バルドー博物館(Musee National du Bardo)です。チュニジア各地の遺跡、モザイク画が満載で、「チュニジアのルーブル美術館」と呼ばれています。
バルドーは世界一のモザイクコレクションが見られる博物館で、本当にたくさんモザイクがあり、さらに巨大なモザイク画も多数ありました。
チュニジアで最も美しい町、Side Bou Said(シディ・ブ・サイド)です。チュニジアンブルーと真っ白な壁が映える街、フランス植民地時代にこのようになったようです。現在では「街並み保存区域」に指定されています。
次はカルタゴ遺跡、世界遺産です。
チュニジアの郊外12kmほどにあります。電車で行きました。
紀元前に栄え、ローマとの戦いに敗れて廃墟、遺跡となりました。名将ハンニバルが活躍した時代の話ですね。
マホメットから南に100kmほど行った、古都ケロアンにも足をのばしました。ここも世界遺産!乗合バスで行けば片道400円程度でいけます。
北アフリカ最古で最大のモスク、「グランド・モスク(シディ・ウクバ・モスク)」。640年、ウクバ・イブン・ナーフィによって建立されました。
猫がたくさんいて、よかったです
ここは「ビル・バルータ」といって7世紀に掘られた井戸。中央には写真のようにラクダがつながれていて、ラクダがグルグル回ることによって水が地下の井戸からくまれるようになってます。この井戸を通じてメッカに通じているという伝説があり、飲むとご利益があるそうです。生水で飲みたくなかったのですが無理やり飲まされました。
屋台で豆に砂糖をまぶして炒ってました。赤いのが豆です。食べてみるととても美味しい。日本で売っているでんろく豆のような感じです。
というわけで、チュニジアは本当は素朴でのんびりした国、ヨーロッパからの観光客も多数くる国なんです。世界遺産も多く見どころ満載!
早く元の平和な状態に戻ってほしいですね。
2006年06月21日
銭湯ハマム体験〜チュニジアにて
4月に行ったチュニジアでの体験です。
チュニジアにはハマムと呼ばれる銭湯があります。ためしに行ってきました。
地図が間違っていて最初学校に入ってしまいました。ハマムはどこだと聞くと子供達はかなり爆笑してました。すぐ近くだったので教えてもらい行ってみました。あとで笑われたり理由が分かりましたが・・・・
ハマムは上の写真のようにちょっと汚い感じのところで、最初からやな予感はしてました。入ってみると上の右側のような感じで休憩所と脱衣所が一緒になってます。午前中は男湯、午後は女湯になるようです。日本のように裸にはならず、水着などを着ます。
ここから実際に中に入ると、銭湯というよりサウナのような感じでした。洞窟の中のような感じで薄暗く、中にはおじさんやおじいちゃん達がいました。まずは一番奥のウエットサウナのような感じのところで立ったまま待ちます。これが湯につかっているという感じのようです。その後、別の仕切りに移動し体を洗います。
私はハマムの代金を払うときにマッサージセットの分も買ってしまったので(全部で200円くらい)、次にマッサージです。マッサージ師が2人いて、床の上に人を寝そべらさせて垢すりやマッサージをしてました。
とにかく汚くて、もう気持ち悪くなってきたので脱衣所に出ました。すると番台のおじさんが早すぎるなあという顔をして、中のマッサージ師にわざわざ頼んでくれたのです。。。。。というわけでマッサージをすることになりました。マッサージはボキボキやる感じでとても痛い。しかもマッサージ師のおじさんも裸なので触れ合ってとても気持ち悪い。垢すりの布も前の人のと同じで洗ってないし。シャンプーもしてくれたのですが、髪がちぎれるくらい引っ張るしとても大変でした。最後に汚いバケツにお湯を汲んできて体にかけられておしまい。。。。本当に気持ち悪かった。
脱衣所に出ると、タオルを持ってきてなかっのでふけません。番台のおじさんが布を貸してくれたのですが、これがものすごく汚く、くさかった。。。。でも仕方がなくそれでふきました。ガイドブックには「気分もほぐれる銭湯ハマム体験」という感じで楽しそうな雰囲気で書かれてましたが絶対に行かないほうがよいです。
2006年06月01日
2006年05月01日
チュニジア旅行〜8日目〜ミラノに帰りました
チュニジア8日目。今日はミラノに帰る日です。
午前中、プールサイドでのんびりして、大型バスで空港へ。
アフリカ大陸に来たのは初めてだったので、結構うれしかった。チュニジアの印象はとてもよいです。アフリカといってもイタリアに近く、フランスの植民地だったせいもあって近代的で、きれいな町が多かった。物価もイタリアの70%〜80%くらいで安くないです。人はアフリカ系の黒人はそれほど多くないようです。まっくろい人はあまり見かけませんでした。昔からヨーロッパと混じっているからだと思います。
今回は全体的に雨が多く、まだ4月だったので寒かった。いつかまた来るとすれば夏に来たいです。
2006年04月30日
チュニジア旅行〜7日目〜ビーチとプールでのんびりしました
チュニジア7日目。今日はようやく晴れて、暖かくなりました。
ビーチでのんびり過ごしたり、散歩したりして過ごしました。さすがに海水は冷たくて入れなかったけど、ビーチには欧米人たちがたくさんいました。
今日は最後の夜だったので、ホテルで夕食会を開いてくれました。夕飯はいつものビュッフェではなくコース料理。でも食べてみるといつものビュッフェを皿に乗せて運んできただけのようだったけど。。。。
夕食後ステージを使って、ホテルの従業員達が練習した演劇をやってました。
これがものすごく下手、ものすごくつまらなかった。。。。。私服でやってるし分けわかんない。歌や台詞言うのもへたくそな感じで学芸会よりもひどかった。。。。イタリア人達も半分くらいは部屋に戻っていったので、私達も戻りました。。。。
ホテルのそばにはディスコやバーなどがあって欧米人達がたくさん来てました。でも疲れていたしすぐ寝ました。。。。。
2006年04月29日
チュニジア旅行〜6日目〜古都ケロアンに行きました
チュニジア6日目。今日は世界遺産の古都Kairouan(ケロアン)に行きました。
今はチュニジア第5の都市でかなり小さく田舎の町です。以前は大都市で首都だったこともありました。7世紀、総督ウクバ・イブン・ナーフィにより建設された北アフリカにおけるイスラム発祥の地。
現在でもイスラムの聖地のひとつで、イスラム世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要な聖都で、ケロアン7回の巡礼はメッカの1度の巡礼に値すると言われているそうです。
ただ、来て見ると本当に田舎で、モスクやその周りも寂れていてちょっとがっかりでした。。。
これはルアージュという乗り合いタクシー。ルアージュ乗り場にはこのようなバンがたくさん停まっていて、行き先を大声で叫んでます。満員にならないと発車しません。。。。ハマメットからケロアンまで100KMくらいありますが一人400円くらいと安いです。
北アフリカ最古で最大のモスク、「グランド・モスク(シディ・ウクバ・モスク)」。640年、ウクバ・イブン・ナーフィによって建立されました。
非イスラムの人が入れるのはこの中庭のみ。上左の写真の塔はミナレットというもので、高さは31.5m。3段階に分かれていてその最下段は728年に造られたイスラム世界で最古のものらしいです。確かにチュニスのグランドモスクよりも大きかったです。
上右の写真はモスク内部のものです。この中に信者さん達は集まるようです。
ここは「ビル・バルータ」といって7世紀に掘られた井戸。その周辺を囲むように白いドーム状の屋根を持つ建物があります。中央には写真のようにラクダがつながれていて、ラクダがグルグル回ることによって水が地下の井戸からくまれるようになってます。この井戸を通じてメッカに通じているという伝説があり、飲むとご利益があるそうです。生水で飲みたくなかったのですが無理やり飲まされました。ちょっとだけ飲みました。。。。
街中(メディナ内部)はこのような感じで寂れてます。。。。みやげ物やも少なかったかな。猫がたくさんいて、残飯をあさってました。
屋台で豆に砂糖をまぶして炒ってました。茶色いのと赤いのがあって、食べてみるととても美味しい。日本で売っているでんろく豆のような感じです。
最後にシディ・サハブ廟に行きました。モハメッドの同士で聖者アブ・ザマエル・ベラウィが眠る霊廟だそうです。モザイク模様の壁がきれいでした。
またルアージュに乗ってハマメッドに帰りました。昨日までは毎日雨でしたがようやく今日から晴れてきました。明日は海やプールでのんびりするつもりです。
2006年04月28日
チュニジア旅行〜5日目〜カルタゴ遺跡に行きました
チュニジア5日目。今日はCarthago(カルタゴ)遺跡に行ってきました。
カルタゴ遺跡は1979年世界遺産に登録されました。カルタゴは2800年前にフェニキアの王女エリッサにより作られた町で、大都市になり栄えました。その後ローマ帝国との3度の戦いに敗れ、カルタゴを恐れたローマ帝国は最後には塩を町中に撒いて二度と復興できないようにしたそうです。今は大統領官邸があったり、高級住宅街になってます。
かなり期待していったのですが、全体的に保存状態もあまりよくなく、文献や資料なども少なかったのでちょっとがっかりでした。遺跡の数もそれほど多くなく、中にはただの公園?見たいなところもありました。説明文などもなく、ガイドブックを持っていかないとつらいです。「アントニヌスの共同浴場」はその中でもまだ柱や床や壁が残されていて、当時の様子が分かりました。
首都チュニスから12km、電車で30分くらいです。ここはカルタージュ・サランボ駅。チュニジアンブルーと白で塗られた駅舎です。
「トフェ(タニト神の聖域)」。当時カルタゴでは幼児を神へ捧げるといういけにえの習慣があったそうです。敷地内には写真のように小さな墓が並んでました。
ただ当時は幼児の死亡率が高かったのでその墓ではないかという説もあるそうです。
「アントニヌスの共同浴場」です。ここと隣接して大統領官邸があってびっくり。写真を撮っていて、官邸の方向にカメラを向けるとおこられます。。。
ここはローマ皇帝のひとりアントニヌスにより紀元前150年くらいに作られた共同浴場。当時2階建てで、更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室など100を越える部屋が左部分と右部分、左右対称に配置されていたそうです。壁にはフレスコ画、柱には彫刻、床にはモザイクが敷き詰められ豪華な作りだったようです。1980年から1988年にかけてユネスコの協力で修復、復元されたそうで、そのために結構当時の様子が分かりました。
最後にカルタゴ博物館に行きました。カルタゴで発掘された品々が展示してあります。上の写真はモザイク画の一部。結構精巧な絵でした。
当時から芸術が発達していたことが分かりました。他にも壷や仮面などがありました。
この後大雨が降ってきて大変でした。他には「古代カルタゴの港」、「サン・ルイ教会」、「ローマ人の住居」などを回りましたがそれほどではなかったです。
首都チュニスの中心にある広場。中心にはどでかいフランス大使館があり、街中にはフランス人風の警察官などもいて、まだ植民地の影響を受けているなあ、という感じでした。
2006年04月27日
チュニジア旅行〜4日目〜Sidi-Bu-Sideに行きました
チュニジア4日目。今日はチュニジアの中でも最も美しいといわれている町Side Bou Said(シディ・ブ・サイド)に行ってきました。この町は南地中海に面した岬の丘の上にあり、坂が多いですが眺めがとてもきれいでした。
フランス植民地の時代もありましたが、その前からこのような青と白のきれいな家が多かったそうです。ヨーロッパに最も近い国なのでその影響をずっと受けていたのだと思います。この青はチュニジアンブルーと呼ばれているそうです。ドアの装飾も凝っていてきれいでした。
現在、シディ・ブ・サイドは「町並み保存区域」に指定されています。
坂を上っていった頂上にカフェがありました。
Cafe des Nuttes(カフェ・デ・ナット)というカフェで、なんと世界最古のカフェと言われており、有名作家や芸術家達がここに来たそうです。町のシンボルになっています。ヴェネチアにも世界最古のカフェがあったのですがどっちが古いのでしょうか・・・
丘の上から海を望むとこんな感じ。海もきれいです。アフリカとは思えず、ヨーロッパの田舎町という感じでした。
次にタクシーでGammarth(ガマルタ)という町に行きました。ここは海岸沿いの町で、リゾートホテルがたくさんあります。そのホテルのひとつ「ホテル・ルネッサンス」の中にタイ料理レストランがあるというので行きました。写真はホワイトカレー、パッタイなどです。美味しかったです。
2006年04月26日
チュニジア旅行〜3日目〜首都チュニスのメディナに行きました
チュニジア3日目。今日はバスに乗って首都チュニスに行きました。チュニスでは、世界遺産のメディナ、そしてチュニジアのルーブルと言われているバルドー博物館に行ってきました。
まずは世界遺産、チュニスのメディナ(世界遺産)に行きました。メディナは城壁に囲まれており、中にはいろいろな店が出ております。アジア系の人は全くいません。観光客はイタリア、フランス、スペインからの人たち。日本人は私達だけで、カタコトの日本語で話しかけてきます。必ず言われるのが、「ジャッキーシェーン、アチョー」と言ってカンフーっぽいジェスチャーをされます。アジア系ではジャッキーチェーンしか知らないようで、中国も日本も一緒に思っているようです。ちなみにチュニジアはフランス語圏なのでジャッキーチェーンがジャッキーシェーンという発音になるようです。
メディナの中心グランドモスクです。チュニジアはイスラム教の国なのでモスクがたくさんあります。中でもここは中心のモスク。ここは、オリーブの木のモスクという別名があるそうです。5000m2の広さがありますが、非イスラム教徒はこの中庭しか見せてもらうことができません。きれいなのですが、まあこんなもんかなという印象でした。
土産物屋が続く細道を歩いていくと色々なものが売ってます。左の写真は「シーシャ」という水パイプです。ガラスでできた壷のようなところに水を入れます。そして沸騰させながらパイプのように口で吸います。カフェなどでは男の人たちがよくこの水パイプを吸ってました。
昼食はメディナ内のカフェで食べました。これはチュニジア名物「オジャ」です。いためたピーマンをトマトソースで煮込んで卵をおとした料理。エビや貝などもあり、とても美味しかったです。付属でフランスパンが出てきました。チュニジアのフランスパンは柔らかくて本当に美味しかった。イタリアは固いパンばかりだったので、本当においしく感じました。
次にタクシーでバルドー博物館に行きました。この博物館は世界一のモザイクコレクションが見られるといわれていて、カルタゴ遺跡の出土品も含めて質、量ともに抜群の収集だそうです。入場料は7ディナールくらいでした。
写真に写っている人と比べると分かると思いますが、一枚一枚のモザイクの絵がとても大きいです。これらは紀元前81年に難破したギリシャ船から発見されたものだそうです。真ん中の写真に写っているのが「ネプチューンの勝利」です。
3階から撮りました。たくさんのモザイク画があるのが分かると思います。これら以外にもたくさんの部屋に膨大な量のモザイク画がありました。大きな絵は迫力がありました。館内はヨーロッパ系の観光客がたくさんいました。
今日はこの後、中心地のCafe-du-Parisに行ってコーヒーを飲み、早めにハマメットに戻りました。21時からは近くのBarでチャンピオンズリーグ準決勝ミランVSバルセロナを見ました。0対0のドロー。前回ミランは負けていたのでここでミランは敗退しました。。。。
2006年04月25日
チュニジア旅行〜2日目〜ラクダに乗りました
チュニジア2日目。今日はビーチ、MAMMAMET(ハマメット)の町、NABEUL(ナブール)の町に行きました。
上の写真は1週間泊まったSerail-Hotelです。4つ星ホテルですがそれほどきれいなホテルではなかった。写真を見るとよさそうに見えますが・・・・・チュニジアに来てから分かったのですが、まだまだ寒くてプールも氷水のよう。。。。一度も入れませんでした。
朝食後、まずはビーチに行ってみました。チュニジアの海でのんびりするはずが。。。。寒い!風も強くてこれがまたミラノよりもずっと寒い!!観光客は結構たくさんいるのですが、寒いのでビーチには誰もいませんでした。
しかし、ビーチにラクダ発見!!まったりとしていてかなりかわいかったです。触ってみると、ゴワゴワの毛、ちょっとくさい。何も食べてないのに口をモゴモゴしていました。
実はこのあと早速トラブルがありました。。。。横にはラクダの飼い主のおじさんがいて、乗れ乗れといい、無理やりにラクダに乗せられました。ラクダは2段階で立ちます。初めはひざを立て、そのあとヨイショという感じで立ち上がります。立ち上がるだけですごい揺れました。ラクダは背が高く、眺めがよかった!歩くのは、右前、右後ろを一緒に前に出し、左も同様なので、乗っているとすごく揺れます。でもなかなかいい体験ができ、楽しかったです。
降りた後、飼い主のおじさんがニコニコしながら料金を要求してきました。2,3分乗っただけなのになんと40ディナール、約3500円です。高すぎ!!ここからお互い口論になりました。私は結構こういうボッタクリに慣れているので、引かずにおこりました。おじさんもものすごい勢いで怒ってます。最後には5ディナールになりました。よかった。。。。
次にハマメットの中心街に行ってみました。写真の城のようなのはメディナと言って旧市街です。中は古い商店街になっていています。首都チュニスのメディナは世界遺産に指定されてます。ここハマメットのメディナは小さくてそれほどではないですが趣がありました。じつはちゃんと中には入りませんでした。。。。
昼食はハマメットのカフェで食べました。写真はクスクスと言ってアフリカ名物の料理。小麦粉で作った粒々の米のようなもの。クスクスを蒸かしてトマトソース味で味付けしてありました。ジャガイモ、ピーマン、羊肉のBBQが添えてあってとても美味しかった。量が多すぎて食べ切れませんでしたが。。。。
次にバスに乗ってナブールに行きました。ナブールはハマメットから北東へ15KM行った所にある陶器で有名な町。チュニジアでは一家にひとつはこのナブール焼きの壷や皿があるというくらい有名だそうです。写真は陶器やみやげ物を売っている陶器街です。1軒、1軒の店員に「やすい、やすい」、「見るだけ」などと声をかけられて逃れるのに大変でした。
で、結局ナブール焼きの皿と灰皿を買いました。
昔、船で難破してきたスペイン人がこの焼き方を教えたそうです。スペインでも焼き物を買ったことがあるのですが、これとそっくりでした。カラフルな焼き物できれいでした。
2006年04月24日
チュニジア旅行〜1日目〜移動で終わりました
今日から待ちに待った旅行です。Tunisia(チュニジア)に行ってきました。イタリアに最も近いアフリカの国です。前回の日韓ワールドカップの時に日本が勝った国ですね。
今日は移動のみで終わりました。マルペンサ空港から19時過ぎに出発。チュニジア南のデジェルバ島になぜか経由して、モナスティールに着きました。この時点で23時くらい。。。。ツアーだったのでそのまま40人くらいでバスに乗り目的地ハマメット(HAMMAMET)に行きました。浜辺からに隣接したホテルではなく、200mくらい離れたホテルでSerail-Hammametというホテルでした。4つ星ホテルでしたがあまりきれいではなかったです。。。。
ホテルに着いたのは夜中の1時ごろ。。。。。サービスでホテルがビュッフェの夜食を出してました。私と奥さんは疲れていたので食べずに寝ました。でもイタリア人達はクタクタのはずなのにみんなガツガツ食べてました。すごい!!